リボンをかける

神宮寺勇太くん、23歳のお誕生日おめでとうございます。


去年、同じ日に同じ場所で、色々な事を祈りながら拙い文章を紡いだりしましたが、その祈りが届いたというより、祈りなど必要なかったんだろうなと思う程、あらゆる物を自らの手で得ていた一年だったと感じます。


ただ率直に称嘆し、憧憬にも似た眼差しでその姿を追いかけていました。


貴方をそこまで突き動かすのが何物なのか私には知る由もないですが、仮に「向上心」という名を付けるとして、その「向上心」が絶えず貴方の中でジリジリと熱いまま生き続けている事が、どうしようもなく輝かしく眩しくて、時折泣きたいような気持ちになります。


私には無い物、あっても足りない物であり、それがどのような原理に基づいて動くのか想像してもしきれないのは相当情けない事ですが、そんな私が、貴方を追いかけることによって、ちっぽけな日々に幾許かの勇気と活力を分け与えてもらっている事。


今に始まった話ではないですが、私が貴方に与えられる影響など微塵もない一方で、私はいつも貴方に貰った物ばかり抱えている事。


きっと絶対に幸せです。


少し前まで、私には貴方の幸せを未来に向かって願う事しか出来ないと考えていましたが、今ではそれさえ必要ないように思えます。


私なんかが願ったりしなくても、貴方は自らの意志と身をもって、自分が望み望まれる道へ突き進んでいくのだろうと、特にこの一年で痛感させられました。


なら、私は、何の為に貴方を好きでいるべきか、追いかけているべきか。


考えましたが、結局は全部自分の為でした。


貴方を好きだという気持ちを開けられた窓口へ無境に差し出し、貴方から受け取った笑顔や希望や感動を抱きしめて自分の財産にしていました。


それで良いと言われれば良いのだろうし、エゴイズムだと言われれば確かにそうなのだと思います。


そもそもそこまで難しく考える事柄じゃ無いのかもしれないけど、気楽且つ適当に考えるには、私の中で貴方の存在が大きくなりすぎているから。


だから、私の思いも言葉も一生一方通行だろうと、その矢印さえ道を逸れることがあろうと、私は私の自己満足で、貴方の飛躍と幸せを願います。


自らの仕事に誇りを持って、全うしようと道を開拓し、走り続けようとしてくれる貴方である限り、自分の労力や優しさや賢さを、周囲のために差し出せる貴方である限り、どうしても幸せの頂点にいてほしい。


私の願いやそれに伴う行動が、貴方に少しでも影響を与えるか、力になるか、そんな自意識は最早問題ではなくて、自らの幸せを願うのと同じくらい、貴方の幸せを願わずにはいられないんです。


これから先も、どうか、勝手に、その背中を追いかけさせてください。


こちらが追いつけなくなって、見える影が小さくなっても、振り向かなくていいし、手を差し伸べたりしなくていいから、その分、行先にある貴方の見たい景色を、全部見てください。


こんな拙く傲慢な文章も、結局は自己的に浸り消化する行為の一つにすぎませんが、それでも。


23歳の神宮寺勇太くんに、沢山の光が降りかかりますように。


眩しくてこちらが思わず目を細めるくらい、未知数の輝きを手に入れ続けられますように。


貴方に貰った物たちを胸一杯に抱えて願います。


2020.10.30